いよいよNY北海道ゆかりの会のリレーエッセーが始まりました。実はこのリレー形式のエッセーを一年以上前から企画していたのですが、モタモタしている間にDC道産子会さんに先を越されてしまいました。私はDC道産子会さんのこのコーナーの愛読者で、今回、NY北海道ゆかりの会のウェッブサイトに似たようなコーナーを設けるにあたり、DC道産子会さんからご快諾を頂きました。
この“北海道ゆかりの会”はその名称のごとく、“でっかいどー、北海道”的な間口の広いおおらかな集まりで、老若男女が北海道料理をつつきながら、郷里自慢や、昔話をして楽しく親睦を深めています。そういう会員の方を眺めていると、この会を始めて良かったなーとつくづく思います。
私は昭和30年札幌に父、幸夫と母、繁子の長男として生まれました。多くの道産子がそうであるように、父は富山《富山二世》、母は山形と東北の出身です。小学生の頃にテレビで見た名犬ラッシー、わんぱくフリッパー、ディズニーアワーでアメリカに憧れ、10才のころに狸小路5丁目のナニワ書房で立ち読みしたロッキー青木氏のアメリカ成功物語でニューヨークを知り、中学、高校で試行錯誤を繰り返し、ススキノ予備校に4年間通った後、22才でようやく憧れのアメリカの土を踏みました。予備校時代に始めた少林寺拳法の大先輩、宮本喜代二さんを頼って、ワシントン州モーゼスレーク市へ押しかけ、その宮本さんのご紹介でその市のドン、スワンソン市長宅にホームステーさせて頂き、また、その市長の推薦でモーゼスレーク、コミュニティーカレッジに入学、その学校と隣の職業訓練校で少林寺拳法を教えて学費免除、夏休みはアラスカで鮭漁のバイトをして年間の生活費を稼ぎました。3年目からはセントラル、ワシントン州立大学に移り、そこを卒業後は、アラスカのブリストル湾でお知り合いにさせて頂いた、極光水産の北野社長、道口部長のお誘いでご入社させて頂き、その後は、鮭と鰊の買い付けでカリフォルニア、アラスカ、スカンジナビア諸国、アイルランド、築地、大楽毛という生活を二年あまり続け、アイルランドの西岸、ガルウェー湾で来ない鰊を待っている時に、アリゾナ州にあるサンダーバード大学院から入学許可の知らせを受け取り、北野社長のお許しを得て退社しました。その大学院で前の家内と知り合い結婚、卒業後、現在務めているシティバンクに入社、横浜、青山支店を経て、当時の上司だったナップ氏の助けもあり、93年3月に“ようやく”念願のニューヨークにたどり着きました。子供の頃からの憧れのロッキーさんともお会いさせて頂き、現在はプライベート部門の日本顧客担当をしています。
振り返ると、今までとても恵まれた生活を送らせて頂きました。本当にいろいろなたくさんの方々にお世話になったものだと今更ながら感謝しています。来年50才を迎えるに当たり、私より大きくなった16才と13才の二人の息子達を見ながら、これからの20年の展望を模索している所です。過去の20年、現在、そしてこれからの20年を考えると、たぶん私は今、大人としての折り返し地点に立っていると思います。これからは、自分.の人生を次の四項目に法って展開したいと思います。
1. 人に迷惑を掛けない。
2. 礼節をわきまえる。
3. 自分の為に人も喜ぶことをする。
4. 良いとおもわれる事は率先してやる。
以上を心掛けてやって行きたいと思いますので宜しくお願いします。このエッセーコーナーをゆかりの会の仲間と分かり合う場としてお使い頂ければ幸いです。
竹田勝男さんから増田捷紘さんのご紹介
増田捷紘さんをご紹介します。現在、総務担当幹事をして頂いている増田さんには、このゆかりの会が再発足するきっかけとなった2001年9月11日の後、最初に再発足についてご相談させて頂きました。1998年から二度目のニューヨークご駐在で某アパレルメーカーの社長をされていらっしゃいますが、この9月にめでたく定年退社され、日本にご帰国されるそうです。もう、お孫さんがお二人いらっしゃいますが、ますます頭は冴え、体はテニスで鍛え、肉体年齢を30才代前半を維持されているそうです。ゴルフの飛距離のまだまだそこらの若者には負けないと豪語されています。定例会、幹事会へのご出席率は最高で、ほとんど皆勤状態、いつもお若く、会を盛り立てて頂くのにご腐心頂き感謝しております。 奥様もいつも快く会のお手伝いをして下さり、受付から、皿洗いまで、本当に助かりました。この場をお借りして、お礼申し上げます。
増田さんご夫妻が日本へご帰国されると、会としては大変心細いのですが、日本から応援して頂けるのではないかと密かに期待しています。私にとっては郷里の高校の大先輩でもあります。きっと、素晴らしいお話をお伺い出来ることと楽しみにしています。
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