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リレーエッセイ 第5回 長谷川久美子さん



このリレーエッセイ、私の番が回って来ました。物を書くことの苦手な私は一寸延ばしにしてきましたが、竹田さんの催促からとうとう逃げられなくなり書くことにいたしました。

私は北海道ゆかりの会の会計幹事を仰せ付かっております。ただし、本業の会計士としての仕事に追われ、最近はゆかりの会の幹事の仕事は怠けていることを白状いたします。

私がゆかりの会に関係いたしましたのは、1988年、今から18年も前のことです。4〜5人の北海道人がいつも集っていた某和食レストランで誘われ、会計士だからといって会計係を指名されました。それから、私のクライアントだった北海道拓殖銀行や北海道銀行のニューヨーク支店の方々に事務局をご担当いただき、10年近く順調に会を進めて参りましたが、銀行さんのニューヨーク撤退で会の運営のやりくりがつかず、会は休眠状態になりました。そして私の手元には空白の目立つ会員名簿と会の運営費の2千ドルほどの残高のある銀行預金が残りました。元からの幹事の一人だった吉澤さんとこのお金は慈善団体にでも寄付しようかとまで話していたのですが、5年前の9・11をきっかけに会は再開され、私がお預かりしていた銀行預金はそっくりそのまま、またこの会の活動のために使えるようになりほっといたしました。それからの会は、皆様ご存知のように何をするにも華々しく会員も非会員も含めて精力的に活動しております。私はその精力的な方々に引っ張られ、振り回されて、よたよたしながらも、心から喜んでいる次第です。

さて、私自身の事を少々申し上げます。私は米国公認会計士で、KPMGという国際会計士事務所で税務パートナーをしております。入社して今年でちょうど30年です。18歳でニューヨークの大学に留学してから、なんとなく運命に流されてここまで参りましたが、今から考えると、何と無謀な生き方であったかと我ながらあきれております。私は北海道は旭川の出身です。学校は好きだったのですが、勉強が嫌いでいつも母を悩ませていたものですから、高校受験をしなくてもよい6年生の藤学園という女子校に入れられ、ボーイフレンドも作らず、6年のんびりと中学・高校生活を送りました。大学も推薦で行くつもりでしたから受験勉強はまったくしていませんでした。ところが、急にちょっとしたきっかけで留学してしまい、果ては公認会計士などというものになってしまったものですから、それから今日に至るまでどんなに宿題してもしたりないほど勉強をしなければならない日々に明け暮れております。母には、子供の時に母の小言にもめげず宿題をサボった報いだと言われています。アメリカがこれほど人に勉強をさせる国だったとはまったく知らずに、この国に来てしまったのが、私の一生の不覚でした。もし、情の深い夫と献身的な秘書がついていてくれなかったら、私は生き延びてはいなかったと断言できます。

母の話になりましたので、ちょっと嬉しい話をひとついたします。母はこの7月の末から3週間ほどニューヨークに遊びに来ていましたが、旭川の自宅からタクシーで飛行場に向かう途中で、お財布を忘れて来たことに気が付き、運転手さんに家まで戻る相談をしたところ、運転手さんが手持ちの5万円貸してくれるというので、それを借りてきたというのです。実は、タクシーの運転手さんからお金を借りたのはこれが二度目で、一度目は詩吟の会の忘年会に行くのにやはりお財布を忘れて車に乗り、車代はもとより忘年会費と二次会用に二万円ほど借りたのです。ふたりとも見ず知らずの運転手さんで、ニューヨークや東京では考えられないことです。やはり北海道というところはすばらしいでしょう!

と言うように、北海道を離れて40年近く経ちますが、相変わらず北海道党の私です。たいしてお役にも立っておりませんが、今後ともどうぞよろしくお願いします。
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